『新日本改造論』議論って何?

今回は議論について話していきたいと思います!

 

皆さんは、議論って普段しますか?

議論って難しすぎません?

意見割れたら雰囲気悪くなるし、そもそもめんどくさい。

でも私としては、その議論のだるさはルールがないから起こることだと思うんです。

 

しっかりとしたルールがあれば、議論が楽しく変わる。

そしてそんなルールを3つ考えてきました!

 

一つ目、自分が折れる前提で主張すること。

 

結局どちらかが折れるしかないような状態で、お互いが何回も同じ主張を繰り返しているだけみたいな議論みたことありませんか?

 

そもそも議論は多角的に物事を見るためにやってるので、意固地になって同じことを繰り返すだけになったら、もうその時点で何の生産性もないです。

 

そうなった場合は第三者を呼んで、判定してもらい、早めに議論を終わらせましょう。

無駄なことに時間を使わない。そのためのルールです

 

二つ目アドリブで議論しない。

 

お互いが意固地になって議論している状況をよくみてみると大抵の場合、どちらかがその場の思いつきで反論しているのをよく見かけます。

 

この間見かけたのは、『船を持ってなくてもマグロは釣れるか』を議論しており、

片方は論理的に、マグロの生息地などから釣れないと主張してるにも関わらず、

片方は『待ってりゃいつか釣れるわ!可能性は0とは言えないじゃん!』

と反論しており、

『確かに0ではないけど、何やねんその反論!その反論に何の意味があんねん!』

と心の中で思ってました。

他愛のない議論なのでもちろん何も悪くないですが

 

政治やビジネスの議論をする場合これは良くないです!

 

反論する場合、あらかじめ調べてから反論することを心がけないと議論する価値がなくなります。

 

 

三つ目、論理的な主張を心がけること

 

みなさんは死刑制度に反対ですか?

 

私は賛成です。

なぜなら論理的に考えて、国の存在理由である『安全と安心を守る』

という視点でみると、死刑を設けることによって犯罪への抑止力になっており、

国民の『安全と安心を守る』ことに貢献していると考えられるからです。

実際、死刑を廃止しているヨーロッパの大国よりも、日本の治安の方が良いです。

 

では皆さんが反対の立場をとる場合、どのように反論しますか?

 

可哀想だからとか、隣人愛だとか、そういった類の反論は論理ではなく、感情論です。

 

例えば、間違えて死刑にしないように、裁判が長引く

しかし凶悪犯罪が多発しており、そのような長期間の裁判がたくさんあると

税金がかかり過ぎる。

だったら死刑を廃止して、無期懲役を最高刑にすることで、裁判を短くして

税金を違うことに使おう!

 

実際にカリフォルニア州では、一件数億円かかるとも言われる死刑のための費用を

抑えるために死刑が実質的に廃止となっていますので

 

このような反論であれば、良い議論になるはずです。

 

 

論理は、多様な考え方を尊重する今の社会を一つにまとめる唯一のルールです。

論理を尊重できなくなれば、暴力でしか解決できなくなります。

 

どちらの宗教が正しいかという議論は、論理を超越した神の世界の話なので

いつの時代も暴力によって解決しようとしてきました。

 

我々が同じ過ちを犯さないように、論理を議論するときのルールとして

尊重しましょう。

 

ということで今回は議論の三つのルールについて話しました。

 

民主主義とは議論であり、議論とは論理である

このことを全ての人が理解すれば、社会はもっと良い場所になることでしょう!

 

本日もありがとうございました。